ライブの時の
語りも最高です!







「大丈夫」
CHU & DEMEBAND




 


[Catch a Fire]
Bob Marley &
The Wailers











渋い歌声が
たまりません



















チキンシャックの
カウンターで

 


●福生に来たいきさつを聞かせて下さい。

その時は絵描きを志してムサビ(武蔵野美術大学)に行ってたから、福生にアトリエとか、そういうのにちょうどいい米軍ハウスが瑞穂のジャパマあるって友達が言ってて、そこに引越して来て。そのあたりの米軍ハウスに住むのもうほぼオレが最初だったよ。全然周りに日本人いなくて外人ばっかで、そっから始まったんだけど絵でも音楽でもそういうのってスペースがなかなか日本の家じゃ持てないでしょ。だからその時はハウスがすごい素晴しい空間に思えてだから、他のみんなもそうじゃないかな。まぁ、とにかく絵やってる人も音楽やってる人もまわりに多かったよ当時は。それで音楽は元々結構好きで自分でギター弾きながら歌ってたよ、絵やりながらだけど、でも音楽は、趣味でやってたのがだんだん本格的になっていったんだよね。

●それは、自然に?何かきっかけ、みたいのがあったんですか

考えてみれば長持ちする方が自分の症に合ってるって事だったんじゃないかな、絵より何かどんどん音楽にのめり込んでいったから

●その当時の福生の音楽シーンっていうのはどんな感じでしたか

音楽シーンってよりかは、あの頃ほら、反戦ムードでしょ。ベトナム戦争のどうのこうのヒッピー文化の最盛期だったからね、それで友達とかそういうの多かったし、それが色んな音楽を聞き始める動機になってるよね。ボブデュランなんかは色々反戦歌とか歌ってたりして音楽ってこうゆう役割もあるんだって気付かせてくれたね。

●音楽が反戦運動の一環になってる

音楽は、そこまで色々と絡んでくるんだなと思うとね、なんかこうウ〜ンッと思ってね。
昔は、ただ純粋にビートルズとか聞いてカッコイイな、とかそういう感じだったけど。でも70年代になって音楽で色んな主義主張が出来るんだなと思ったね。

●その当時好きだったミュージシャンは誰だったんですか

前はビートルズだったけど、70年代は色々いて、ウッドストックってのがあったでしょ、ウッドストックなんかの情報ってものすごい大きかったからね、何かあのときジミヘンや何だかんだっていっぱい出て、ボブデュランから何からもうあの頃のミュージシャンは、みんな好きだったね、そうあん時はすでにビートルズじゃなかったな。

●そんな音楽シーンが宙さんのバックボーンになってるんですか
 
いや、やっぱ一番のキッカケは南 正人っているでしょ、彼に一番音楽をいろいろ教えてもらったんだよね。その人の所で居候させてもらったときに彼がアメリカかどっか行って帰って来たときになんかレコードを持って来たんだよ。それが「Catch a Fire」っていうジッポーライターみたいにパッコと開けるとレコードが出てくるヤツで斬新だったよね。そしてレコードを買った理由をオレに言うんだけど「いやぁ道を歩いてたらね、どっかから変な大阪弁か演歌みたいなのが混じったような音楽が聞こえてきたからビックリしちゃったんだよ」って。
それがBobMarleyのレコードだったの、そん時始めて聞いたんだよね。Bob Marleyはそん時メジャーでも何でも無かったんだよ、日本では全然知れ渡ってなくて、そん時にさぁBob Marleyを聞いてさ「チャ チャ チャン チャン」っていうのが何かこう演歌みたいに聞こえちゃってさ、おもしろいなって、ラテンでも無いしなんだろうってね。そっから、すーんごいBob Marleyにのめり込んでいったんだよね。そのBob Marleyに出会わせてくれたのは南 正人って人だからいまでも日本では尊敬してる人だよね。その人の所に色んな人が集まっててヒッピー文化があったり、そっから始まってるよね。

●福生のヒッピー文化はどうだったんですか

んーそうだね、福生ってほら、色んな所から人が集まってくる場所で、飯野くんも福生じゃなく秩父だしさ、なんか北は北海道、南は九州からきてる人はいるしさ、しまいにはアジアやアメリカはもちろん色んな国の人種がいて面白くてワクワクさせる街だったよね。それでミュージシャンも多いし絵描きも多いし、そうゆう芸術家が多かったからオレは住みやすかったよね。だってハウスなんかでメチャクチャでかい音出しても苦情はこないしさー。毎日のように周りでは宴会やったりパーティーやったりしてるからね、そんな場所他にはなかったよ。でも岩国とか軍隊のある街には皮肉にもそうゆうのがあったみたいだけどねー。とにかく音楽はやり易い場所だったよね。まあそれで音楽をやるにおいてはやっぱ反戦はさけられなかったね、身近にいるアメリカ兵がベトナムに送りだされてるのを見たりしてるからね、んー、直接反戦的な歌は歌わないけど、でもそっちのモードでやってたね。

●福生には有名になったミュージシャンが沢山いますがそういう人達とセッションなんかはしてるんですか

彼等は独立した世界をもってたから、ようするにこうゆう地域に住んでる人だから、みんな独自の考え方を持っていて自分等のペースでやってたからね接触はなかったね。でもちょっとはあったかな。

●「福生ストラット」の曲でコーラスで参加してませんか

んーなんかジャパマーでやったような気がするな−、大瀧詠一の関係者とやったような気がするんだけど昔過ぎて記憶があいまいなんでわかんないなー

●福生でやったライブで一番印象的なライブは

福生市民会館でやったイベントかなー。イベントの走りだと思うんだけど、昔「BP」(※伝説のディスコ/ブラックピープルの略)っていう黒人のディスコがあってそこのやつがブラック文化を広めようって主宰してたんだよ。そこも色んなやつが集まってたな。とにかくイベントではオレはライブもやったんだけど背景画を描くのも手伝わされて面白かったな。ファッションショーをやったり外人だけではなく日本人のバンドがあったりで。でもここまでくる過程で外せないのがココ(チキンシャック)だよね。

●チキンシャックで一番始めにやったライブは覚えてますか

ハチャメチャだったよ(笑)ヒゲさんにおだてられてやったんだよね。そのころはチキンシャックは本格的なライブハウスじゃなかったけど実験的にライブはやってたよね。

●そのころはどんな感じの曲をやってたんですか

オレはむかしからアドリブ系だったね。一番好きだしさ、今も好きだけどね。アドリブこそ最高だよ。

●自分の曲で好きな曲はありますか

近頃ほんとよく思うんだけど、あのね、昨日よりか今日っていうタイプなんだよねオレ。ライブやっててカッコつけてる訳じゃないんだけど昨日よりか今日って思うんだよ。むかしレーコードとか作った曲なんかあるんだけどやっぱそれよりか(同じ曲でも)今の方がいいと思うんだよね。得に最近は激しいね。一ヶ月前の自分よりか今の自分のほうがいいって思うしね。しいてあげるとすると今繰り替えして歌ってる曲が好きだってことだから「バード」とか「スイート・ラブ」とか、この辺の地域を歌った「羽村から小作まで」とかね。くり返し歌ってるけど自分ではつねに新しい曲のように歌ってるんだよね。でも30年もやってるんだから好きなんだよね、好きの他なにものでもないよね。

●福生の好きな場所はありますか

好きな場所とかは自然に何回も通ってる場所だと思うんだけど。やっぱココ(チキンシャック)かな、UZUもあるけど、やっぱココかな。あとは変わり行く飲み屋かなー。福生ってどんどん店がなくなってるからなー。「49」(現在はcrunk)とか好きだったなー。

●今の若者にメッセージなどありますか

ありきたりかも知れないけど、思った事をもっと言って欲しい。例えば今の腐った政治とかにさ。とにかく音楽でも踊りでもいいんだけど、オレ達よりかフットワークはいいんだし、ほら、ダメになっても取り返しがつくわけだからさ。メッセージを言って欲しいよ。若いやつじゃなきゃ出来ない事っていっぱいあるからね。

●最後に宙さんにとって福生とは、一言でお願いします

--30秒ぐらい考えて--
オレのスタートであり、終わりになるところだね。

●ありがとうございました!

中原 宙/NAKAHARA CHU
ボブ・マーレーのような風貌で福生のライブ・ハウスで歌う中原宙は、福生のミュージック・シーンを語る時には、欠かせない人物。1951年生まれで鹿児島県出水市出身。武蔵野美術大学卒業後、20代から歌いはじめ、以来約30年間にわたり福生のライブ・ハウスを中心に音楽活動を行っている福生音楽界の大御所。普段はひとりで歌うことが多いが、そのほかにも「DEME BAND」「ゴム マーリー」など、いくつものバンドを組み、音楽活動を行っている。
著「ゴーゴー福生より」

LIVE情報:9/4(日)チキンシャック FUSSA MAP[E-3]


ビールをのみながらのインタビュー