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唐鎌照雄/テーラード屋「Kブラザース」の経営者

●まず福生に来たいきさつを教えて下さい。
19才の時に親父が福生でお店やることになって、こっちは外人が多いから通訳が必要になってボクがたまたま英語は話せたから手伝いに来い、って言われたのが福生に来たきかっけだね。

●その頃福生はどんな感じでしたか?
当時は「軍票」っていう軍だけで通用するお金があったんだよね。軍人はそれしか持ってなかったから。1ドル360円の時代だよ。
その時、日本人のお金っていうのは私が勤めてる時は大学出で給料が月に1万2000円くらいだった。で、外人はその頃15万円くらいもらっていたんだよね。海外手当てとか、危険手当とか入れると20万円くらいだったのかな。
とにかく日本人の10倍くらいもらっていたんだよ。でも、この軍票っていうのは普通は外では使えないんだよね。
福生、立川、基地の周りは当然のように使っていたけどね。
朝鮮戦争行く人なんかはさ、行ったら帰ってこないつもりでいるからさ、みんな。だから例えばうちで250ドルのものを注文すると300ドル持ってきて、おつりをくれるのよ。もう日本円がいらないからっていって。
そのくらい余力がすごかったね。
今では珍しくないけどブラックとかレッドとかのウイスキーなんかも、当時は高かったけど、たくさんもらったね。
そんな時代だったのよ。でも、アメリカ人は始めはオーダースーツのオーダーって知らなかった。
アメリカで作ると当時、一着最低でも500ドルはしたからね。それが日本では29ドルとか、一番安くて18ドルとかで作れるんだもん。
アメリカで15万円くらいかかるのを日本じゃ7000~9000で作れたからみんなビックリして来たわけよ。
だから一人何十着も持ってて、みんなオシャレだったね。

 

●その頃の呼び名とかあったんですか?
みんなテッドって呼んでたね。照夫だから。あとはテリーとかさ。

●当時の音楽ってどんな感じでしたか?
その頃はカントリーウエスタンの音楽が流行っててさ、ブルーグラスとかね。
ハンクウィリアムスとか、ハンクトーソンとかね。ドラムが入らないギターとマンドリンのカントリーソングだよ。雰囲気があってよかったね。
Jazzじゃないんだよね、まだロックが流行る前だよ。
私がカントリーのバンドを持っていたから、みんなの前でよく演奏していたよ。そうするとみんな喜んでくれてね。どんどん人が集まって、みんながチップをくれるんだよ。
当時の赤線は一時期、日本人は入れなかったんだよ。儲からないからお店は外人相手に商売やってたね。
だから外人ばっかり。ドルを持ってる人じゃないと入れなかった。店の入り口には「オフ・リミット」ってかいてあったよ。
1960年代頃、基地に慰問に来てたのがフランク永井とか、ジミー時田とか。みんなコンポラ着てカッコよかったよ。その当時、横田基地の中にはクラブが3つあってね。
一つはザンジバルクラブ。アーマンファースト以下のいわゆる一般の兵隊が集まるところでさ。
あとはオフィシャスクラブとNCOクラブ。オフィシャスクラブは少尉から上のクラスだから着物着て、軍服もちゃんとして行くよね。わりと静かな音楽が流れていたね。
ところが、このザンジバルクラブが一番面白いのよ。一般の兵隊だから品の無い歌からワイワイやるわけ。それが面白くてね。
その頃黒人は立川とか西立川、白人は福生って完全に分かれていたね。
だけどその後、新しい音楽を持ってきたのはみんな黒人だったね。
そういうのを買ってBPとかでかけていたよ。

●あの伝説と言われているクラブBPですか?
そう。60年代後半くらいかな、黒人がいろんな音楽を持ってきてBPでかけていたんだよ。だから良い曲がたくさんあった。
その頃BPはモーレツに人気があったね。都内からもたくさん来てたよ。その当時はFENラジオしか聞けなかったのよ。
そういう音楽がここへ来ると時下に聞けてたわけ。BPは上にディスクジョッキーやる場所があって、下のフロアではみんな踊っていたね。狭い所だったけど、いつもギュ-ギュー詰めだったよ。
芸能人で当時のこの辺の事をよく知っているのはバブルガム・ブラザーズのブラザーコーンさんだろうな。
都内に住んでいたけど、年中福生にいたよ。毎晩帰るのは朝4時って感じだったね、みんな。
みんなそれぞれ行きつけのお店があって、基地の中も外もあちこち行ってたね。

●当時のエピソードはありますか?
なにしろ当時は食べ物もそんなに贅沢には食べられなかった頃だからね。
そんな中、基地の中ではじめてあの分厚いステーキを食べてビックリしたよ。そして音楽もすごいでしょ。
アメリカってすごい国だな~って思ったよ。
あとは最近になって3年くらい前だったかな、若いアメリカ人の兵隊がスーツを着てうちの店に来たんですよ。
そのスーツが見たら1960年代の前半に私が作ったスーツでね。ちゃんと裏地にサインが入ってて。
それが、彼のお祖父さんのものだって言うのよ。そのお祖父さんが横田に行ったら、Kブラザーズに行って見せて来いって言ったって。お祖父さんからお父さん、息子まで3代も続けて着てるっていうのを聞いてすごく嬉しかったよ。

 

●芸能人の人とかもよく利用すると聞きましたが、どんな人が来ていますか?
最近一番作っているのは忌野 清志郎さん。コンサートの度に毎回5,6着は作っているね。
3月の35周年記念の時なんかは、だいぶ作ったよ。
福生までは自転車で来てるよ。あの高くて早い自転車。で、他の人は後からベンツで来る。あの人のバンドはみんな自転車で来てるよ。
川崎や横浜から来たり。だからうちに来て、顔拭いて休んでから、採寸とって。
本人は瑞穂に親戚がたくさんいるからね。福生のこともよく知ってるよ。
他には東京スカパラダイスオーケストラとか、ゴスペラーズとか、エグザイルとか。
いろいろいてわからないくらいだね。

●清志郎はどんな衣装を作るんですか?
デザインは普通の洋服やさんじゃ出来ないようなゴムの生地とか、ものすごい派手なレースとかね。
レースの生地に赤の生地を入れて、映えるようにするとか、そういう特殊なアイデア。
こういうのはこうした方がいいとかね。スタイリストも3人くらい来るよ。
こういうミュージックに対して、どういうものが合うかっていうのをスタイリストの要望を聞きながらやっているよ。
その打ち合わせの中でデザインをどんどん作っていってるよ。
縫えないデザインを持ってきたりもするんだけどね。ここまでは出来るけどこれ以上は出来ないとかね。そういうのは私じゃないとわからないから。
あとは、どういう音楽を歌うのとかね。で、舞台がどういう所か、ステージが高いのか低いのか。
高い場合は少し短めに作るとかね。そういうのを全部聞いて。
他にも照明の色はどんな色を使うのか、それによって生地の色も変わるからキレイに見えるものを選んでね。
とにかく細かいところまで目をやって慎重に決めているよ。
だから出来るだけステージをみるようにしているよ。でも長年やっているからその辺はだいたいわかるけどね。
シャネルズが有名になる前からやっているくらいだから。

●テーラーの魅力とは?
まずイージーオーダーや既製品というのは、なんでも合うようにワンパターンで作るからお店側の意思で売ってるよね。お客さんの意思を省いてる。それがまずダメだよね。
テーラーっていうのは、自分の意思は別にして、経験は豊富に持っていても控えておいてお客さんの意思をどんどん聞いて、お客さんがこういうのが欲しいなっていうのを取り入れて、その中で自分のスタイルを出していく、と。
だからお客さんが満足するんですよ。誰でもスーツ着るとそれなりにカッコよくなるんです。
ところがバランスが悪いから似合わないんですよ。
バランスがいいのと、スタイルがちゃんとしたのを作れば、必ず似合うから。
それだと銀座行けば作れるって話になるだけど、銀座だと30万とか40万とかかかってしまう。
それを私なんかは、イージーオーダーの値段で作ろうと思って努力しているわけ。
だからコストを安く、いかに早く、いかにお客さんの意見を取り入れられるか。そこを基本にしてやっているね。

●具体的にオーダースーツの金額は?
うちはオーダースーツは\68000~やってます。普通は安くても15万円くらいはしますね。
それで仕事はどうかというと、仕事はずっとうちの方がいい。でも、みんな既製品と思っちゃってるね。
シャツからネクタイから全部含めてだから安いよね。
既製品っていうのは中国で作っているからね。

●仕事に対して(?)
私はこの仕事が大好きだよ。もう愛着があるから。
だから頑張って西多摩一、東京一になろうと思って、そういう気持ちでやっているね。
なれるかどうかはわからないですよ。気持ちをもってやってるわけ。
そういう気持ちを持っているから、暗いことにはならないですよ。なにくそーってなるから。大丈夫。
でも日ごろの努力を忘れちゃダメだね。バカバカしいと思っていても、それがいつか必ず役にたつから。
それは自分の信念。だから小さくたっていいんですよ。大きくなる事もあるんだから。
自分が楽しく、自分が思うことが出来ればこんないい事ないでしょ。
基本を忘れたら商売やってても、どんないい物持ってても、それを忘れたらそこから広がっていかない。
お客さんが来た時に、店員さんがみんな立派な人が揃っていればやっぱりニコニコして、ありがとうございました、10円の物買ってもらってもありがとうございました、って頭下げて感謝をする。そうするとお客さんは違うんだよ。
だからそういうところからキッチリしていかないと。まずダメだと思うんだよね。
個々のお店では礼儀作法とか、いい商品を揃えるとか、そういう事をやっていかなくてはいけないね。
今、若い人はいろんな良いアイデアを持ってるから、寄り合ってどういうふうにすればいいか考えれば
必ずよくなると思う。
私もそれを実践してやってるから、北海道や九州からも来てくれているんだよ。今日来たお客さんだって大阪から来てるんだよ。
そうじゃないと注文が来るわけないでしょ。うちのお店なんかに。

●商工会ではどんな活動を?
今、インポートフェアっていうのをやってるんですよ。でも、今はインポートの時代じゃないじゃないですか。みなさんいろいろやってて。
昔はインポートっていうと、珍しくてこっちの方まで買いに来たりしてたけどね。
今、福生の駅前でやってるんだよね。ひとつのメロンがあるじゃないですか。一番最高級のメロンってどういうのか知ってる?
こう枝が二つにわかれてるの。それを元として、あの駅前を基準として、その最高のメロンにするには両商店街がその枝にならなきゃいけないと、いうつもりで今回駅前でやったんですよ。
みんなで力をあわせて発言もどんどんしてもらっていい事でも、悪い事でもなんでもいいんですよ。くだらなくても。ひとりのアイデアって一つでしょ?
でも知っていると思って知らない事っていっぱいあるから、みんなで話でもすれば、みんなが進歩するからいいよね。だから若い子たちにもどんどん頑張って欲しいよ。

●最後に唐鎌さんにとって福生とは?
やっぱり私のスタートに地点だからね。ここに福生ありって、そういうふうにしたいね。
うちのやってるファッションの発祥の地ですから。
我々はもう地元だから、これを守っていかなくちゃと思っているよ。

唐鎌照雄/KARAKAMA TERUO
半世紀ほど福生の街でテーラード屋「Kブラザース」を経営。有名人の顧客も多く、清志郎、バブルガムブラザース、スカパラ、ゴスペラーズ、エグザイルなど。その他わざわざ大坂など地方からきてでもここで仕立てたいお客が後をたたない。チャンスとタイミングと行動力をモットーとする。

「Kブラザース」は現在閉店し、跡地にはThe MINT MOTEL (アメリカンレストラン)があります。